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川崎:宮崎から戻り密度濃く練習再開、キャンプ同様の「環境」へ工夫
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1101290039/
霧島山(宮崎、鹿児島県)の新燃岳が噴火した影響で、宮崎県での1次キャンプを打ち切ったJリーグ1部(J1)の川崎が29日、麻生グラウンドで練習を再開した。
28日に戻ったイレブンは約2時間の練習をこなし、ミニゲームも行うなど密度の濃いメニューに汗を流した。
突然のスケジュール変更だったが、相馬監督は「キャンプのつもりで、やるべきことをやります」と落ち着いた様子。宮崎と川崎は、気温自体は「さほど変わらない」(相馬監督)というが、キャンプ同様の「全員でサッカーに集中できる環境」をつくるため、昼食を一緒に取るなど工夫していくという。
新加入のDF田中裕は「期間こそ短かったが、向こうでは集中してできた。こっちでも同じようにやればいい」。MF中村も「ここでしっかりトレーニングすれば問題ない」と、動じた様子はなかった。
武田信平社長もグラウンドを訪問し、「選手たちが心配で来た。現地も大変だと思う。今はこっちで頑張ってほしい」とエールを送った。今後、1次キャンプは中止として、麻生グラウンドで練習を行う。2月14日から宮崎県で予定している2次キャンプについては未定で、庄子春男強化部長は「基本的には宮崎でやりたいが、状況次第」と話した。
噴火で帰京の川崎、フィジカルなど2時間汗
http://www.sanspo.com/soccer/news/110130/sca1101300506000-n1.htm
新燃岳(しんもえだけ)の噴火により、宮崎県内で行っていたキャンプを前日28日に打ち切って帰京した川崎は29日、フィジカルトレーニングやミニゲームなどを中心に約2時間、練習を行った。相馬新監督は「キャンプと同じようなメニューをやるつもり。これを乗り越えて、チームが1つになればいい」と話し、波乱の船出を平常心で乗り越える決意だ。(麻生)
宮崎キャンプ中止の川崎F、川崎で練習再開
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2011/01/30/kiji/K20110130000148950.html
霧島山の新燃岳の噴火、火山灰の影響により宮崎県綾町での1次キャンプを中止し帰京した川崎Fが29日午後、川崎市のグラウンドで練習を再開した。
2月14日から宮崎市内で予定している2次キャンプの実施については未定で、とりあえずは4日まで同所で練習を行う予定となった。相馬監督はこの日「キャンプのつもりでやっていこう」と選手に伝え、約2時間トレーニングに励んだ。休養や食事など選手管理が徹底できるキャンプに近づけるため、昼食は寮で全員が食べられるように手配中。練習の合間もできるだけクラブハウスで休息をとるなど臨機応変に工夫して行う方針だ。
キャンプ打ち切りでキャンセル料“上乗せ”…川崎
http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/jleague/news/20110130-OHT1T00015.htm
霧島山・新燃岳の噴火の影響で28日に宮崎・綾町キャンプを打ち切った川崎が29日、川崎市内のクラブハウスで練習。クラブ幹部は「宿舎側は渋っていたけど、キャンセル料を取るようお願いしてきた」と明かした。
今合宿は11泊12日で食事、宿泊費の予算は約900万円。それが4泊で終了した。大打撃を受ける宿舎に対し、クラブは2~300万円程度のキャンセル料の上乗せを“要請”する。昨年の口蹄(こうてい)疫に続き、鳥インフル、大噴火と災難続きだが、宮崎では13年連続でキャンプを行っている。「ずっとお世話になっている。来年も宮崎でやる」とクラブ幹部。相馬監督も「宮崎の方は本当に大変だと思う」とおもんぱかっていた。
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無事に麻生グラウンドで“再始動”です!
以下、新加入の柴崎選手の特集記事。
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【2011シーズン始動!ニューカマー・レコメンド】東京Vが自信を持って送り出す、名ボランチ:柴崎晃誠(東京V→川崎F)(11.01.29)
http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00113118.html
正直、東京Vにとっては最も手放したくなかった選手である。昨季の東京Vは、高い技術でテンポ良くパスをつなぎ鮮やかに崩すサッカーで観ている人を楽しませた。そして、その中心でゲームを組み立て、コントロールしていたのがボランチの柴崎晃誠だった。心臓とも言うべき存在を失うのだ。「痛すぎる」と、チームメイト・関係者の誰もが口にしていた。
しかし、それと同時にその全員が「晃誠の力ならJ1でやれる。上のレベルでのチャレンジは選手として当然の選択。絶対に頑張ってほしい」と、背番号8の英断に深い理解とエールの言葉をおくっている。東京Vでの4年間で培ったものを武器に、いよいよ『柴崎晃誠』の名を本格的にJ1にも広めるときが来たようだ。
加入当初から技術、視野の広さ、展開力、パス精度など、攻撃力の高さは誰もが認めるところだった。ルーキーイヤーこそ出場は6試合のみに止まったが、当時のチームメイト・名波浩をはじめ、大野敏隆、服部年宏、大黒将志ら東京Vでともにプレーした日本代表経験者たちも、彼のポテンシャルの高さには一目置いていた。中でも大黒は、「ヤットになれる」と、G大阪時代のチームメイトでもあり、現日本代表の中核・遠藤保仁選手(G大阪)の名を挙げ、代表クラスの素質を称賛していたほどだ。そんな偉大な先輩たちから数多くを学び、2年目からコンスタントに出続け試合経験を積み上げることで自分を磨き、デビューから4年、柴崎は攻撃の核として着実にステップアップを遂げてきた。
だが、その柴崎を、センターバックという最も近い位置で見続けた土屋征夫は、彼の最大の成長は「守備」だと語る。「最初は、晃誠自身『どうやって守備をしていいかわからない』って言っていたぐらい守備ができなかった。でも、『攻撃はお前にすべて任せるから、守備に関しては俺の言うことをとにかく聞いて動け』と話して、細かなところまでいちいち指示を与え続けた」のだという。その甲斐あって「FWとDFの間に上手く入って相手の攻撃を遅らせてくれたり、パスコースを切ってくれたり、今では立派に守備面でも機能してくれている。実際、昨季ウチの失点数が少なかったのは、サエちゃん(佐伯直哉選手)と晃誠のボランチ2人の貢献度が大きい」と、言われるまでに成長した。そして、土屋は続ける。「でも、何よりも言えるのは、毎回あれだけうるさく、しつこいぐらい事細かに動きを注意したのに、晃誠は一度も文句も言わずしっかりとそのアドバイスを聞き入れ、全てを吸収していった選手だということ」。そうした、先輩からの助言を大切にできる純粋な人間性というのもまた、彼の素晴らしい特長である。
唯一J1でシーズンを送れた08年、当時の柴崎が、ほとんど自分の納得いくプレーができず、「サッカーをやめたくなるぐらい自分が下手でイヤになります」と、悔しそうに語っていたことを今でも鮮明に憶えている。あれから3年、確実に進化を遂げた柴崎がJ1でどのような活躍を見せるか、非常に楽しみである。「個の能力は問題ない。あとはチームのサッカーに自分をフィットさせられるか。その適応能力こそが、超一流選手になれるのか、ただの上手い選手で終わるのかの差」だと、土屋は指摘する。とはいえ、その持ち前の謙虚さと天然(?)な性格があれば、どこへ行っても確実に順応し、成長を続けていけるに違いない。
惜しみつつ、東京Vの全員が太鼓判を押して送り出す柴崎晃誠。川崎Fから日本を代表する選手へ、そしてその先に広がるご自分の夢へと大きく羽ばたいてくれることを心より期待しています。
以上