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今日は、「祝!ザックジャパン」の余波からか、、、記事が見当たらず・・・
少し前ですが、「楠神選手」の特集記事があったので、今日はそれでご勘弁を!!
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仕事 若者たちの選択<2> サッカー選手 楠神 順平さん(23)
http://www.tokyo-np.co.jp/article/kanagawa/20110103/CK2011010302000023.html
夢中で追い続けたボールの先に、夢だったプロの道が開けた。
昨年、正式にサッカーJ1・川崎フロンターレの一員となった。「大卒だから即戦力にならないと」と意気込んだ。Jリーグの公式戦年間三十四試合の半分以上の二十二試合に出場し、ピッチを駆け抜けた。
存在感を示したのは五月のガンバ大阪戦。後半からの途中出場ながら、ハットトリックを達成。劣勢の試合を引き分けに持ち込んだ。シーズン後半は先発出場も増えてきた。それでも「足がつったり…スタミナ不足。プレーの精度も足りない。まだまだ課題がある」と気を引き締める。身長一七〇センチ、体重六三キロ。普段の練習以外にも当たり負けしない体づくりを続けた。
サッカーとの出合いは、Jリーグ元年の一九九三年。“キング・カズ”こと三浦知良選手(現横浜FC)のプレーを思い描きながら、滋賀県の実家近くの小さな公園で毎日、ボールを追い掛けた。「あの時が一番ボールを蹴っていたな」と振り返る。ドリブルやフェイントなど、ひたすら憧れのプロの技のまねを続けた。
高校は滋賀県立野洲高校に進学。早朝から夜遅くまで、日に六~七時間の練習。好きだからこそ上達も早かった。しかし、なかなか試合で結果が伴わない。
転機は最終学年のシーズン。全国高校サッカー選手権大会への出場を決め、一気に県勢初の全国制覇を成し遂げた。
「優勝して気付いた。もっと上のレベルでサッカーがしたい」。幼いころから漠然と描いていた夢が輪郭を帯び始めた。
選手権の試合でフロンターレのスカウトの目に留まり、二〇〇九年には特別指定選手に。同志社大学在学中からJリーグのピッチに立った。
幼いころにボールを追い掛け、磨き続けたドリブルの技が、プロの世界でも大きな武器になることを知り、自信を深めた。
「楽しい」だけで続けてきたサッカーが、周囲に夢や希望を与えられる仕事になった。 「試合に勝ったとき、一生懸命応援をしてくれるサポーターと一体になれる。その瞬間がうれしい」
今季の目標はただ一つ、「たどり着きたい。チームの初タイトルに」。自分のためだけでなく、ファンへの恩返しのために。 (酒井博章)
◆どうすればなれる?
プロになるには、一般的にはクラブチームの下部組織か、高校や大学で実力を磨いていく二通りがある。下部組織の方がプロへ近く感じるが、「近道はない」と日本サッカー協会広報部は断言する。現在の日本代表の多くが高校や大学サッカー部の出身で、「実力があれば、スカウトは見逃さない」。川崎フロンターレのスカウト向島建さん(44)によると、プロ向きなのは「長所と短所など自分をよく知っている選手。自分を知らなければ、高めていけない」と話す。