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【J1:第9節 川崎F vs 磐田】レポート

【J1:第9節 川崎F vs 磐田】レポート:一つの課題を改善した川崎Fが、劇的な勝利をおさめる。勝点1が目前の磐田は、終了間際の決勝弾に泣く(11.05.04)
http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00118367.html

サッカー界の用語の一つにM-T-Mというものがある。試合(Match)をして、課題を抽出し、それを修正すべく練習(Training)を組み立て、また試合に臨む。

磐田を迎えたこの一戦に向け、川崎Fの選手たちは課題を明確にしていた。そのひとつが、ボールサイドへの選手の過度の密集の解消だった。例えば、プレビューでも取り上げた小宮山尊信の「この前の試合(名古屋戦)で言えば、局面(ボールサイド)で寄りすぎていた。そこであえて(フォローに)行かないとか、個でやらせてみたり試してみたい」との言葉がそれを示しており、だからこそ、この試合ではそうした過度の密集をどの程度まで修正しているのかがポイントと考えていた。そして川崎Fは磐田とのこの試合でその課題を修正していた。

試合は負傷によりメンバー外となった稲本潤一に代わり中村憲剛がボランチに入る形でスタートしており、それがこの試合のポイントのひとつとなった。その中村とコンビを組む柴崎晃誠は「横をワイドに使い、攻めようと思っていました。それは修正しようとしていたところで、それができたと思います」と述べている。また、中村も「左サイド、コミ(小宮山)とかコウジ(山瀬)とかが持ったら勝負をさせようと話してた。1対1で仕掛けられる選手なので。4~5人でなくても1~2人でやれる」と話している。これは、過度にボールサイドに集中してきたこれまでの戦いを転換したものであり、記者席から見ていて分かる程度には幅を使って攻撃できていた。その結果としてか、川崎Fは磐田を圧倒し続ける。また、そうした傾向に輪を掛けたのが、前半30分の山本脩斗の退場であろう。15分に1枚目のイエローカードを貰っていた山本は、田坂祐介へのラフプレーで2枚目の警告を受け退場に。一人少ない磐田は、那須大亮が「攻められるのは仕方ないが、ワンチャンスを生かせるのかどうかだった。ラインをコンパクトにして、それを続けていた。最終的にゴール前で跳ね返せばいいと思っていたし、どうにか中では跳ね返せていた」と話す通りある程度割り切って守備に重点を置いており、その磐田を川崎Fが押しこむ展開になったのは両チームにとって必然的な流れだとも言えた。

川崎Fは修正を施した戦い方で相手を圧倒するという形で成果を出し、磐田の3本のシュートに対する23本のシュートという数字を出している。そういう点で一定の評価を与えられる試合ではあった。ただその一方で、放つシュートの大半が不正確であり、枠を捉えきれていないという課題が出てきたのも事実であろう。枠に飛ばすことができなければ、シュートを何本打っても得点することは無理である。

また、これまでの2試合同様に数少ない被シュートの場面で決定機を作られており、この試合も前半20分に訪れた磐田のコーナーキックから決定的なシュートを放たれているのが気になった。ちなみにこのシュートは、負傷の杉山力裕に代わり出場した相澤貴志のファインセーブによって事無きを得ている。

そうした流れを踏まえて考えると、後半87分の小林悠のヘディングシュートはもし川崎Fが勝点3を奪えなかったとしたら批判されるべきプレーの一つだった。後半78分にピッチに入った小林は、相馬直樹監督から「左サイドからかなりクロスは上がっていた~中略~右サイドのポジションから、思い切って突っ込んで、必ずチャンスはくるから」との指示を受けていた。那須の言葉にもあるように、一人少ない磐田は引いて守る事で、川崎Fのクロスボールをことごとく中で跳ね返し続けていた。だからこそ中に飛び込む枚数を増やすのは合理的な解決策であり、それを実践すべく小林は右サイドから飛び込み続けていた。そんな中での87分のヘディングシュートは「目が合った」という中村からの絶妙なクロスを「ジャストミートしすぎた」事で外したものだった。千載一遇のチャンスだとも思えたこのシュートを外した事で、誰もが引き分けを覚悟した90分に、再び小林に好機が巡ってくる。

「よく覚えてないんです」と話すその場面について、報道陣からジュニーニョのシュートのこぼれ球だったとの説明をうけると、小林は「どんなゴールでもゴールはゴール。勝ちに結びつくゴールだったのでよかった」と穏やかな表情で語った。

試合展開や時間帯を考えると、勝利を決定づける事になるであろうシュートの直後。小林は咆えながらサポーターが待ち受けるGゾーンへと駆け寄り、サポーターと後ろから追いついてきた味方選手たちにもみくちゃにされる。第1子が誕生したばかりの菊地光将と約束していたというゆりかごダンスを完全に忘れてしまうほどの喜びだったという。大きな失望のあとの望外の歓喜である。その尋常ならざる感情の振れ幅を考えれば、事前に用意していたパフォーマンスを忘れてしまっても、それは当たり前すぎる反応であろう。

試合はその後の磐田の猛攻をしのいだ川崎Fが逃げきり、勝利。川崎Fが連敗を2で止めることとなった。

開幕から川崎Fは一つずつ問題点を解決してきた。少なかったシュートを増やし、狭い範囲に固まっていた戦いを転換した。ただ、それでも新たな問題点は浮かび上がってくる。シュートを枠に飛ばすという基本的な課題だが、その課題に劇的な展開の勝利を受けて取り組めるという点で、大きな意味のある試合だったと言えそうだ。


【J1:第9節 川崎F vs 磐田】相馬直樹監督(川崎F)記者会見コメント(11.05.03)
http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00118334.html

●相馬直樹監督(川崎F):

「ほっとしています。ちょっと雨が降るような天候だったのですが、たくさんの方に来ていただいて、連敗中の僕らを後押ししていただいたおかげで、最後のゴールが生まれたと思っています。1人退場になってから、逆に磐田はやることがはっきりして難しい状況になりましたが、選手たちが最後まで攻める姿勢を貫いてくれた。そしてサポーターの後押しのおかげで、なんとか勝点をもぎ取ることができました。またすぐに次が来ますが、次に向けていい準備をしたいと思います。以上です」

Q:決勝点の小林悠選手に対しては、どのような言葉をかけて送り出したのかということと、期待していたゴールなのでしょうか。
「相手が引いている中で、左サイドからかなりクロスは上がっていたんですが最後のフィニッシュのところで、やはり相手に体を張られているという状況が続いていた。そこで最後、クロスに入る人数を増やしたいというところで、逆サイド、右サイドのポジションから、思い切って突っ込んで。必ずチャンスは来るからという話をして、送り出しました。ホントにそこで、まあその前にひとつありましたが、よく取ってくれたなと思います」

Q:ボランチに持ってきた、中村憲剛の評価はどうでしょうか。
「あまり個人のことはこのような場ではなかなか…とは思いますが、彼のいい面-前に付けるボールが出る面と、ただ少しボールをロストしていたというのも事実あったと思います。ただ、最終的には彼がゲームをコントロールしていたのかなと思います。
今後、相手によってということは考えますが、一つ大きな結果になったと思います」


【J1:第9節 川崎F vs 磐田】柳下正明監督(磐田)記者会見コメント(11.05.03)
http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00118331.html

●柳下正明監督(磐田):

「選手たちは非常に粘り強くプレーしてくれたと思います。特に後半44分まで非常に良い仕事をしたなと。11人で今日のゲームをやりたかった。以上です」

Q:ハーフタイムの指示については?
「10人になってからバランスよく守備をしていたので、守備の方はそのまま続けようと。ただズルズル下がるなと。細かいことは色々ありますが。で、マイボールになってから(前田)遼一がたぶんトップのところでボールを受けられるので、そこに入れて1人サポートを早くする。あと、両サイドの選手がサイドバックとセンターバックの間のスペースを突いてカウンターを仕掛けると」


【J1:第9節 川崎F vs 磐田】試合終了後の各選手コメント(11.05.03)
http://www.jsgoal.jp/news/jsgoal/00118344.html

●小林悠選手(川崎F)
「試合に出て、応援してくれたサポーターに応えたかった。
1本目のヘディングシュートは、自分でも(中村)憲剛さんと目が合ったんですが、ジャストミートしすぎました。あのまま終わっていたらやばかったです。
(ゴールの場面は)よく覚えていません。どんなゴールでもゴールはゴール。勝ちに結びつくゴールだったのでよかった。パフォーマンスはキクさん(菊地光将)に子供が生まれたので、揺りかごダンスをやろうと思ってたんですが忘れてました。あとで『やるって言ってたじゃん』と怒られました。
自分が入ったときに自信を持ってプレーできていなかった。ただ、今日はそれができていたので勝ててよかったです」

●柴崎晃誠選手(川崎F)
「相手は引いてくるだろうと思っていたし、そこをどうこじ開けるのか考えていました。サイドからいいクロスが入っていましたね。そこで決めていれば、もっと点は取れていたと思います。ワイドに使って行こうとは思っていて、修正しようとしていたことができていた」

●矢島卓郎選手(川崎F)
「今日は引き分けが負けみたいなものだったんで、勝ててよかった。展開的に、しっかり持てるだろうと思っていた。1点決まってよかったです。
今日は人数的に状況が状況なので、シュートは多くなって当然でした。自分も点を取りたかった。左サイドとか崩せていたし、ジュニーニョもサイドに流れていた。中の枚数のところで、クロスに入る選手が増えてチャンスは増えたと思う。
(勝ちましたが)すぐに試合がありますし、切り替えて、連敗止めましたし、ここでいい方向に向かっていければと思います」

●中村憲剛選手(川崎F)
「ここ数試合、仙台、名古屋と良くない時は前が狭くなっていた。そうすると動きが出ないし、跳ね返されてカウンターを食らっていた。左サイド、コミ(小宮山)とかコウジ(山瀬)とかが持ったら勝負をさせようと話していた。1対1で仕掛けられる選手なので。4~5人でなくても1~2人でやれる。そうすると中でも待てるので。ジュニーニョもセンタリングを入れられるので、縦に入れつつ外もイメージしていた。あとは裏をイメージしていた。最近の試合では相手の前でやる試合が多かったので。
これを勝てたのはよかった。得点のところも、サイドから詰めていた。ああいうところが、点を取りきるために必要。向こうは引き分けOKだった。うちはそれに焦れずにやれた。高い位置で取り返せていたし、フィニッシュのところまでは形はいくつもできていた。
喜びも2倍くらい。逆に10人になって難しくなった。この勝ちで乗れればと思います。選手同士でコミュニケーションをとっていた。コウジ、ヤジ、ジュニと1対1で仕掛けられる選手が多い。それを生かせればと思います」

●山瀬功治選手(川崎F)
「チームとしては連敗を止められた。もしチームの現状の流れが悪いままだったら、最後の点は入っていなかったと思う。それがキレイではないまでも1点入って勝てた。流れも上向いてきたと思う。それが一番よかったと思います。
(個人的に)もっと結果を出せればと思いますが、それはそのうち。
(2日前の監督と中村憲剛との話し合いについて)チームがやろうとしていることをざっくばらんに話すことで、イメージが明確になった。それはよかった。今日は中盤でやっていたので、その違いはあった。中盤のイメージを持てていた。結果としてはよかったと思います。
流れはシーズンを通してあって、どれだけ頑張っても悪循環になる時がある。それは試合の結果だったりに出てくることが多い。今日の試合は流れを見たときに、一個打開する事になったのかなと思います。次の試合はそれがよりはっきりするのかなと思います」

●前田遼一選手(磐田)
「(前線では)キープはほとんどできませんでした。先は長いので、頑張ります」

●那須大亮選手(磐田)
「攻められるのは仕方ないが、ワンチャンスを生かせるのかどうかだった。ラインをコンパクトにして、それを続けていた。最終的にゴール前で跳ね返せばいいと思っていたし、どうにか中では跳ね返せていた。守る意識は出せていた。悔いは残りますが、これを生かしたいと思います」


相馬イズム 川崎連敗脱出 守備固め 最後まで走り回る
http://www.asahi.com/sports/fb/TKY201105040124.html

(3日、川崎1―0磐田)

 「ほっとしました」。試合後の川崎・相馬監督の第一声だ。前半30分に退場で相手が1人減ったが、拙攻が目立つ。ゴールをこじ開けたのは後半45分だ。左DFの小宮山が深く切り込んでクロス。ジュニーニョのシュートはDFに跳ね返されたが、途中出場のFW小林が泥臭く押し込んだ。

 昨季までとはスタイルが明らかに違う。爆発的な攻撃力は鳴りを潜め、代わりに要所で守備を固め、ボールを大事に回して最後まで走り回る姿があった。

 川崎は2005年のJ1昇格以来、2位が3回。初栄冠へクラブが迎えたのが、鹿島の黄金期を支えた元日本代表DF相馬監督だ。5位の昨季、総得点61はリーグ2位だったが、総失点47も多い方から5番目。39歳の指揮官は、カウンター一発で個人技任せの前線と、粗い守備にメスを入れ、全員が攻守で組織的に動く土台作りに着手した。選手から「細かすぎる」と言われるほど、指示は細密だ。

 開幕前、相馬監督は「失敗したら二度と監督ができないかもしれない。でも自分のやり方でチャレンジしたい」と覚悟を持った。そのスタイルを貫き、ひとまず連敗を脱出。主将の井川は「自分たちのサッカーを信じても結果が出ないと精神的にきつくなる。きょうは大きな1勝」と話した。

 ただ、この日はシュート23本で1点。守備も何度か乱れた。多彩な攻撃とすきのない守備。「相馬流」の構築まで生みの苦しみが続きそうだ。


川崎:2年目小林、「無我夢中」で殊勲/磐田戦から
http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1105040014/

 川崎の連敗を食い止めたのは、2年目FW小林のリーグ戦初ゴールだった。

 後半33分から出場。ただ得点に集中していた。「どう決めたか覚えていない。無我夢中で」。後半45分、ジュニーニョのシュートのこぼれ球に詰め、冷静に右足で蹴り込んだ。

 「迷惑ばかり掛けてきた。泥くさくても貢献できたことがうれしい」と話す。渕野辺高から拓大に進み、鋭い裏への飛び込みと得点感覚を期待されて昨年加入した。しかし昨季は、右膝前十字靱帯(じんたい)の故障で長期離脱。今季も右肩甲骨骨折から復帰したばかりと、けがに泣かされてきた。

 それでも腐らなかった。麻生グラウンドでは、全体練習後に黙々とキックの練習を続けた。「キャンプで約束させられたんですよ、今季8ゴールは取るって」。低いようにも聞こえる目標。しかし「達成できるところからこつこつと。今季はチームのために力になりたい」と、あくまで謙虚に試合に臨む。

 この試合23本のシュートを放ちながら、決定力不足に苦しんだ川崎。「神奈川産ストライカー」の今後の右足に期待だ。


V3狙う川崎F・U12が4強/サッカー
http://www.nikkansports.com/soccer/news/f-sc-tp0-20110504-770640.html

<サッカー:JA全農杯チビリンピック2011小学生8人制サッカー全国決勝大会>◇初日◇4日◇横浜・日産フィールド小机

 全国9代表が3グループに分かれてリーグ戦を行い、大会史上初の3連覇を狙う川崎フロンターレU-12(関東第1)がAグループ1位でベスト4に進出した。Bグループからはコンサドーレ札幌U-12(北海道)、Cグループからは柏レイソルU-12(関東第2)が1位で通過。また、Bグループの高知南FC(四国)が得失点差で2位3チーム中最上位となり、準決勝に進んだ。今日5日は札幌と柏、高知南と川崎が日産スタジアムでの決勝戦進出をかけて対戦する。

【リーグ戦成績】

▽Aグループ

 (1)川崎フロンターレU-12(関東第1) 2勝
 (2)シーガル広島(中国) 1勝1敗 ※得失点差-1
 (3)金沢南ジュニアSC(北信越) 2敗

▽Bグループ

 (1)コンサドーレ札幌U-12(北海道) 1勝1分
 (2)高知南FC(四国) 1勝1敗 ※得失点差0
 (3)西宮少年SS(関西) 1敗1分

▽Cグループ

 (1)柏レイソルU-12(関東第2) 2勝
 (2)大分トリニータジュニア(九州) 1勝1敗 ※得失点差-2
 (3)名古屋グランパスU-12(東海) 2敗

 ※各グループ1位と2位中成績最上位の高知南が準決勝進出

 <主催>日刊スポーツ新聞社ほか<特別協賛>全国農業協同組合連合会(JA全農)


川崎対仙台戦 友好ムードに包まれた一戦
http://www.townnews.co.jp/0201/2011/05/05/103624.html

 「試合前のフロンターレサポーターの応援とVTRには涙が出ました」

 先月23日、等々力競技場で行われたサッカーJリーグ1部・川崎フロンターレ対ベガルタ仙台の一戦。宮城県出身で東京都に在住する仙台サポーターの女性は、再びサッカーを楽しめる喜びをかみしめ、フロンターレ側の温かな演出に感激した。

 東日本大震災後、初のリーグ戦。フロンターレサイドは被災地クラブである仙台を温かく迎え、さらなる支援のための様々なイベントを試合前から行った。中でもフロンターレサポーターが仙台の応援歌を歌った際には場内の盛り上がりは最高潮に達した。これに対し仙台サポーターも「川崎フロンターレ」コールで応じ、友好的なムードに包まれた。

 試合は前半に川崎が先制したものの、後半に仙台が逆転。1対2で敗れた。試合内容自体こそ「相手の執念、勝ちたい気持ちに上回られた試合」(相馬監督)となったが、いつも以上に温かいムードに包まれていた試合でもあった。


GO!GO!!フロンターレ アズーロ・ネロでトレカフェスタ
http://www.townnews.co.jp/0202/2011/05/05/103560.html

 川崎フロンターレのオフィシャルショップ『アズーロ・ネロ』があす6日(金)、7日(土)、8日(日)の3日間、トレカフェスタを開催する。

 同店で販売中の「2011Jリーグオフィシャルトレーディングカード1stシリーズ」(1パック8枚入り・420円〈税込み〉)、「2010―2011サッカー日本代表オフィシャルトレーディングカード・スペシャルエディション」(1パック5枚入り・525円〈税込み〉)を2パック以上購入すると、稲本選手直筆サイン入り半袖ユニフォームをはじめ、フロンターレ選手直筆サイン入り大判フォトやカードが当たる抽選会に参加できる。期間中、トレーディングカード購入者には、今年のフロンターレ新体制発表時で撮影された新加入選手の集合写真が入った特製プロモーショントレカがもらえる特典も。同店では「この機会、ぜひお見逃しなく」と呼びかける。

■次のホームゲーム

5月15日(日)16時キックオフ 対鹿島戦


メキシコ五輪銅チームの主将・八重樫茂生氏死去…78歳、脳梗塞
http://hochi.yomiuri.co.jp/soccer/etc/news/20110503-OHT1T00291.htm

 サッカー元日本代表で、銅メダルを獲得した1968年メキシコ五輪で主将を務めた八重樫茂生(やえがし・しげお)さんが2日、脳梗塞のため都内の病院で死去した。78歳だった。岩手・盛岡一高からサッカーを始めたにもかかわらず早大在学中に日本代表入りし、国際Aマッチ44試合11得点。FWやMFとして56、64、68年と3度の五輪に出場し、日本サッカーリーグでは63年度に年間最優秀選手賞に輝いた。

 厳しくもチーム思いの主将だった。蹴る、止めるといった基本を重視。ともにメキシコ五輪に出場した松本育夫さん(現鳥栖スーパーバイザー)は「パスが30センチズレると受けてくれない。自分に厳しく、みんなに尊敬される人でした」と故人をしのんだ。釜本邦茂さん(現日本協会顧問)も「練習で正確性をたたき込まれた」と振り返った。メキシコ五輪では初戦のナイジェリア戦で負傷し、以降の出場が不可能になったが、他の選手のジャージーを手洗いしてチームをサポート。強い精神力で「鋼鉄の男」と呼ばれた。

 67年からは選手兼任で古河電工監督。70年に日本ユース代表監督、その後は富士通(現川崎)監督を歴任し、93年Jリーグ開幕当時の市原(現千葉)で育成部長も務めた。晩年は東北社会人リーグ・グルージャ盛岡の運営に参画。05年には第1回日本サッカー殿堂入りも果たした。「我々はサラリーマンだったけど、八重樫さんの精神はプロでした」と松本さん。サッカー冬の時代にメキシコの奇跡を呼んだ闘将が、静かに天国へ召された。

 ◆葬儀 通夜は5日午後6時から、葬儀・告別式は6日午前10時30分から、いずれも東京都多摩市豊ケ丘1の51の2、吉祥院アバホールで。喪主は長男・幹夫(みきお)氏。


銅のメキシコ五輪で主将…八重樫茂生さん死去
http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2011/05/04/kiji/K20110504000753360.html

 サッカーの元日本代表で、銅メダルに輝いた68年メキシコ五輪で主将を務めた八重樫茂生(やえがし・しげお)氏が2日午後1時10分、脳梗塞のため東京都多摩市の病院で死去。78歳。岩手県出身。選手としては3度の五輪に出場し、指導者としても活躍。日本サッカー界の発展に寄与した八重樫氏の訃報に、関係者は肩を落とした。

 八重樫氏は中大、早大を経て古河電工入り。卓越した技術は当時、日本屈指の呼び声が高く、56年メルボルンを皮切りに、64年東京、68年メキシコと3度五輪に出場した。本来はFWだったが途中から指令塔に転向。宮本輝紀氏(故人)とともにゲームを組み立て、FWの釜本邦茂氏(67)、杉山隆一氏(69)の得点を導き出した。

 練習から一切の妥協を許さなかった。11歳年下の釜本氏とのキック練習ではピッチのすぐ外が谷になっている場所に陣取り、キックが少しでもずれて転がり落ちると、その都度、拾いに行かせたという。釜本氏は「一つ一つのプレーを正確にということを叩き込まれた」と「センチメートルパス」の逸話を振り返る。

 東京五輪から主将を務め、個性派ぞろいの日本代表をまとめた。35歳で迎えたメキシコ五輪は初戦のナイジェリア戦で負傷。出場できない悔しさを押し殺し、黙々と若手のユニホームを洗った。「伝説の主将」と呼ばれるほど周囲から信頼され、精神的支柱として銅メダル獲得につなげた。

 67年に古河電工監督に就任。その後も日本ユース代表、富士通(現川崎F)の監督も務め、指導者としても手腕を発揮した。05年には第1回日本サッカー殿堂入り。06年からはJリーグ昇格を目指す東北社会人リーグのグルージャ盛岡の運営にも関わるなど、一生を日本サッカー界の発展にささげた。

 ▼日本サッカー協会・小倉純二会長 体調があまりよくないとは聞いていましたが…。大変、お世話になった人。また大恩人が亡くなってしまった。

 ▼埼玉県サッカー協会・横山謙三副会長(メキシコ五輪代表GK)体調を崩していたが、良くなってきて、そろそろゴルフをやろうと話していた。面倒を見てもらった大先輩。残念です。正確なキックで試合をコントロールしていた。八重樫さんがいたからパスでつなぐという意識が生まれ、銅メダルにつながった。代表の中では大人の存在で信頼の厚い主将だった。

 ▼静岡県サッカー協会・杉山隆一副会長(メキシコ五輪代表FW)来月(メキシコ五輪代表の)集まりでお会いするのを楽しみにしていました。残念です。八重樫さんは、メキシコの初戦(対ナイジェリア)でケガをして試合に出られなくなると自ら裏方の仕事をしてくださった。当時の代表は家族のようなチームで兄貴のような存在でした。

 <川淵会長も驚き>早大、古河電工で後輩にあたる川淵三郎日本協会名誉会長(74)は「驚いた。非常に寂しい」と話した。早大1年時の主将が八重樫氏で寮では同部屋だったが「かわいがってもらった。小間使いをやらされたこともない。4年生なら1年生にやらせるのが当然だった掃除や洗濯も自分でやっていた」という。日本代表でもともに東京五輪に出場した。「技術は当時の日本でNo・1。練習熱心で主将としても率先垂範。(他の選手が)まねできない選手だった」と懐かしんでいた。

 <釜本氏「偉い人でした」>メキシコ五輪の銅メダルメンバーとして日本サッカー界をともに支えてきた釜本氏も、八重樫氏の死去を悼んだ。昨年10月に会ったのが最後だったが「その時は元気でした。突然のことでびっくりしております」と言葉を失った。東京五輪とメキシコ五輪の主将を務めた故人を「偉い人でした。難しい人ばかり集まっていたのに、よくコントロールしてくれました」と振り返った。

 ◆八重樫 茂生(やえがし・しげお)1933年(昭8)3月24日生まれ、岩手県出身。盛岡一高から中大、編入した早大を経て古河電工(現J2千葉)に進み、主にFWや攻撃的MFとしてプレー。56年メルボルン、64年東京、68年メキシコと3度の五輪に出場。64、68年は主将を務め、メキシコで銅メダルを獲得。67年から古河の選手兼任監督に就任し69年に引退。その後もユース日本代表、富士通などで監督を歴任。国際Aマッチ通算44試合11得点。


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